貧乏のくせに県外私立文系に出す

なるべく軽く身軽に動けるように、荷物は実家から送るし急がないものを置いて帰れと言ったけど、トランク1つ、リュック1つ、手提げエコバッグ1つを持って斜め右に身体を傾けて、
じや。

と言って息子が駅へ向かった。

大学生2年目の夏にして、やっと気持ちが晴れて前向きになり、大学内の筋トレ室で体を鍛えたりしている。
帰宅部やに。
ぼっちやに。

こういうナゾな行動がまた、息子の良いところ。


国立大学の理工学部は、余裕で受かると思いサッカーを⚽️続けて、模試もまあまあだったが
壁は高い。私立中堅文系に通うことになった。

がっくりと肩を落としながらも、自分は出来たはずだと歩いた、入学式。
私は、憧れの大学であったからウキウキしていた。
自分のからだがある場所、そこが自分の場所と
受け入れなければ前に進めない。
そこの人間を馬鹿にしたら?
そういうの天ツバゆうやつ。


私立文系の自分に適応しつつ、コロナにかかってすっかりたるんだ毎日から、この大学2年になって、プログラミングサークルも2年目になって、筋トレにコッソリ通い、タンパク質を多く摂る毎日を過ごして、息子は元気になった。

7歳から続けてきたサッカーと別れ、2年になる。
スポーツ店の隅で、サッカーボールを取ると
誰もいない店内少しリフティングをしているのを見た。

自分の夢はなんだったかな?

来年は就職活動が始まる。

そして、今はサッカーをまた始めたいと思っている。

私はいつだって、彼に助けられてきた。
父親が障害者だったこと、家にお金がなくていつも節約だったこと、姉の教育で母親がいつも
イライラしていたこと。

楽しい家庭じゃなかったし、明るい家庭でもなかった。

サッカーで、彼がいつもキャプテンだったことや、寡黙に毎日、疲れても宿題やこどもチャレンジをしていたこと。
もらった100円を必ず貯金したこと。

私も、旦那の病気で何度も、死にたいと思ったこと。保険金が自殺じゃおりない。
障害者雇用や障害者年金や利権を調べる毎日毎日。ずるくても、ばかにされても、恥ずかしくても金になるなら合法で。

子ども2人を大学に出して、資格を取り、一生食べれる人間にすること、その前に健康であること。

半額の野菜や肉しか買わなかったこと。


毎日が、嫌だった。
いま、生きてるのは悪夢だと諦めた。

障害者のだんなが、ペンギンみたいに
いつも歩いてるのがイヤだった。
それを、子供が見てるのもイヤだった。

2023年9月

10年前の私は鬱で、薬を飲みながら
なんとか働いて家事をした。

2023年か。
あの頃は2023年なんか来るか、と思った。

金は無かったが、結局は金が残った

大学に2人とも行けたし。

しかも2人目は県外私立だ。

あの頃は、県外私立に出してる人を知って、
かなりの金持ちやな、年収600万以上なんやろなと思ったものだ。
自分は無理やと。
国立大学やないと無理やと。

私らの年収は430万。


10年前と変わらない。

お金はいったい、なんだろう。
数字以外に増えたり減ったり何かしているのだろうか。